目標を設定して行動したけど、
モチベションが続かずに途中であきらめてしまうことがよくあります。

それは目標達成にフォーカスしてしまっているからです。
目標を達成することにフォーカスし過ぎてしまうとうまくいかないケースがあります。

わたしも過去同じような経験をしました。
私の経験をお話しますね。

私は高校三年の時に大学受験をしましたが
ろくに勉強もしてなかったこともあり、どこの大学にも合格しませんでした。

もともと大学に行くつもりはなく、音響関係の専門学校に行こうと思い、
出願するときに親に報告したところ、親から猛反対されました。

もう30年以上前の話ですが今の時代、大学を卒業しないと、いい会社に就職できない。
それよりもうちの親戚は誰も大学を出ていないからお前には親戚代表として大学に行きなさい。と言われました。

もう無茶苦茶な話ですよね。

最終的に親戚が大勢集まって私を説得にかかりました。

当時の私は18歳、音楽関係の仕事に就く夢を諦めて大学受験をすることに決めたのですが
10月から受験勉強をはじめましたので間に合わず受験失敗しました。

今考えると、音響関係の専門学校に行くという目標は卒業した後、レコーディングスタジオに就職して有名なミュージシャンと一緒にアルバム製作をしたいという夢、つまりこうなりたいという目的がありました。

しかしながら大学合格という目標を達成した後、自分はどうなりたいかという目的が明確に描けていなかった為にモチベーションも上がらず、不合格という結果となってしまいました。

そこで、私のなかで小さな変化が起きました。
大学に行くつもりもなかったのですが
自分の気持のなかで大学受験に失敗したという事実がとても大きくなり、
とても悔しい、受験まで時間がないとはいえ、精一杯努力をしていなかった自分自身が情けない、そんな感情が大きくなってきました。

当時18歳の少年はこう思いました。
1年浪人して意地でも大学に合格して親や親戚を見返してやる。
専門学校に通って音響の仕事に就く夢をあきらめて大学受験を目指すことにしました。

自分の努力不足が原因で大学受験に失敗したので
1年間浪人するにしても予備校の費用を親に負担してもらいたくない。
意地でも自分の力で大学合格してやる。

そんな思いが強くなっていたところに受験雑誌に掲載されていた新聞奨学生募集の広告が私の目に飛び込んできました。

新聞専売所に住み込みで毎日朝刊、夕刊の配達と集金業務を行いながら予備校に通い大学受験勉強をするという生活を送る制度
予備校の授業料を新聞社が奨学金として出してくれて、
かつ、専売所から月8万円の給料ももらえる。

ひとり暮らしにもあこがれていたので、これだ!と思い、
また親に内緒で手続きを自分で進めました。
未成年なので保護者の署名が必要なのでそこではじめて親に書類に署名してもらうお願いをしたのですが、そこでまた親が猛反対。
働きながら受験勉強なんか出来るわけがないと。

でも私の意志が固く、1年だけ挑戦させて欲しいと親を説得し、新聞奨学生の生活を送ることになりました。

こうして新聞奨学生の生活が始まりました。
私の自宅は東京都墨田区にありましたが、東京都板橋区にある某新聞社の専売所に住み込みで働くことになりました。

私の他に2人の同期生、福岡と神戸から同じ目標持った仲間が集まって同期3人で新聞奨学生の生活をスタートすることになりました。

我々は大学合格という目標に向かって生活を始めたのですが、
新聞奨学生の生活は当初思っていたほど甘くはなく、とても厳しい世界でした。

毎朝3時半に起床して4時に専売所に行き、折り込みチラシを配達する新聞に入れる作業をした後、一人当たり約200軒のお宅に朝刊を自転車で2時間かけて毎日配達します。

配達から帰ってきたら朝食を食べて予備校に通って、
予備校が終わると友達とお茶する時間もなく、専売所に戻って夕刊を配達。

当時の新聞代はクレジット決済や口座振替などの仕組みが無かったため、
毎月25日頃から翌月の10日頃まで集金をしなければなりません。

その集金業務が新聞配達よりもかなり大変でした。
100円値上がりするだけで文句を言われたり、集金に行ってもなかなか会えなかったり。
全く勉強受験勉強する時間が取れませんでした。

さらに追い打ちをかけたのは、6月の梅雨の時期です。
毎朝起きると雨。いつものように朝刊を配るのですが新聞が濡れないように前のカゴと後ろのカゴにビニールをかけ、自分は雨合羽を着て、ときには土砂降りの雨の中、2時間自転車で新聞を配ると言う毎日がとても辛く、とても心が折れました。

さらに、一緒に大学合格を目指していた同期が1人辞め、2人辞め、とうとう私1人だけになってしまいました。

私たちが入る前に先輩が2人いたのですが、専門学校生と2浪の予備校生。
その先輩に聞くと、この専売所では過去大学を合格した人は誰もいない。
と言うことを聞かされショックを受けました。

私はこのままでは大学が合格できないと思い、新聞奨学生の生活を諦めて実家に戻ることを決めました。

しかし新聞奨学生を辞めるときには新聞社が払ってくれた予備校費用数十万円を一括で返却しないといけません。

もちろん当時の私にはそんな大金は無いので親に電話をかけて相談することにしました。

電話口には母親が出ました。

最初は元気でやってるか。などと明るい口調で話をしていたのですが、私が事情を話し始めるとだんだん母親が無口になり、電話口からすすり泣く声が聞こえてきました。

「お前に申し訳ない」と。

私の父親は東京の下町でプレス金型製作の自営をしていたのですが、零細企業で資金繰りが厳しく、立て替えてもらった奨学金を一括返済する資金がありませんでした。

母親が電話口で泣く声を聞いた瞬間、私の心の中であるスイッチが入りました。

これでは大学受験を失敗した時と同じだと。自分は努力をしていないのに途中であきらめてしまってはいけない。と思い大学受験を合格するという目標を達成した後の世界を想像しました。

自分も喜び親も喜び、そして大学生活の4年間楽しく友達と過ごし、大学卒業後は自分の好きな会社に就職して楽しい家庭を築く。

そんな世界を想像しました。その世界にたどり着くための手段として大学受験この厳しい状況からクリアすれば自分自身の成長にもなると言うところでフォーカスが変わりました翌日からの私はもう大学受験の目標を達成すると言うよりはその目標はあくまでも通過点その卒業大学合格した後の世界を描きながらとにかくいろんな時間がない中で時間を工夫して時間を作り出し無事に大学合格と言う目的を目標達成することができました

目標達成する事はあくまでも通過点手段です目標達成にフォーカスを当てるのではなく目標達成した後の世界堂自分がどうなりたいのかどんな世界に過ごしたいのかどんな夢があるのかまずその目標達成した後の世界を想像してそこにフォーカスをしてみましょうその夢を実現するために何をしなければいけないのかまず何も目標を達成しなければいけないのか目標達成するためにはどのような行動をする必要があるのかと言うことで逆算して行動計画を立てで行くことになりますまずは目標達成した後の世界を開いてみてみましょう

目標はあくまでも手段
最終目的地に到達するための通過点です。

自分はどうなりたいから、どんな夢を叶えたいからその目標を達成するのか。

目標達成ではなく到達したい最終目的
そこにフォーカスしてみてくださいね。